「医学部新時代」を顧みて

2018年の1月号より12回に亘って続いてきたシリーズ「医学部新時代」。私立医大・医学部の理事長や学長、医学部長より医学教育を中心にお話いただき、「医師の使命感」や「働き方改革」、「チーム医療」、「地域医療」、「国際交流・国際医療」、「観光医療」等、具体的なテーマについてもご意見を伺うこともありました。

その中で特に印象深かったのは、各大学それぞれ歴史や伝統が異なりながらも、共通して「建学の精神」が創学当時より今に息づき、大学の柱となっているということです。“作家は処女作に向かって成長する”という幾分パラドキシカルな言葉が示しているように、各大学は時を経て変わらない大学の在り方を指し示す「羅針盤」のごとき建学の精神を目指して成長しているのだと思います。時に方向性を見誤まる場合があっても、創学の“動機”であった建学の精神を振り返ることで、正しき方角へ向かって舵を取ることができるのだと思います。そしてその建学の精神は、長い歳月をかけて校風を築き、医学生たちをその「色」に染め上げる。学生時より育まれた母校に対する帰属意識は、学び舎から巣立った後には「誇り」へと転じ、医師人生に末永く影響し続けていくのだと思います。

また、建学の精神を礎にした「大学の使命」についても、各大学で独自性が見られました。医学・医療は究極的には弱者救済であるため、病に苦しむ患者さんを助けるための医学研究や、患者さんの心に寄り添える医師育成こそが、医科大学・医学部が果たすべき共通の使命です。なるほど、“医師にして哲学者たるは神に等しい”という言葉もあります。ただ、各大学は時代のニーズに即した医学・医療を実現すべく、それぞれの得意分野を生かしながら、社会貢献できる分野を開拓し、新たな使命として打ち立てています。であればこそ、国立大学とは違った私立大学ならではの自由度とダイナミズムを感じることができました。

ただ、教育を充実させるには財政基盤が安定していなくてはなりません。新たな研究、そしてそれを担う学生を育成するためにも、“未来への投資”は必要です。そこで公的資金が投入されているとはいえ、私立大学は自助の精神の下で経営努力を重ね、良質な教育と研究、さらには診療の場を学生たちに提供してきました。理事長をはじめ、大学運営サイドの苦労は想像に難くありません。であればこそ、昨今のメディアによる医学部入試を巡る一連の批判的報道は、些事に囚われた近視眼的な見方と言わざるをえません。「言葉」は時に刃物よりも破壊力があります。とかく絶対視されがちであったメディアの報道を相対化することが、むしろ今の時代に求められているのではないでしょうか。

さて、そうしたマスコミによる医学部入試に関する批判的なニュースが喧しい昨今、全国医学部長・病院長会議(AJMC)から「公平性」と「医療人確保」を勘案した医学部入試制度に関する規範が示されました。そこでは性差や浪人年数(年齢)を公平に判断するとしていますが、そもそも公平とはそのような形式的なものなのでしょうか。最終的には医師国家試験で厳正に評価されるため、あくまで入学試験による選抜は、各大学が自由裁量の下で行ったとしても直ちに批判されるものではないと思います。メディアの過熱する報道に反し、その界隈の外は意外と冷静にこの事態を眺めているのではないでしょうか。

1年間の対談を通して、改めて大学の大学たる所以は「教育」であり、人材の育成であるという認識を持つに至りました。また、医師という職種は一生学び続けることを自身の胸に誓える人間だけが選び取れる、極めてシビアな職種であるとの印象も受けました。私立医大・医学部が教育を大きな柱に、良医そして研究医の育成に向けてこれからも尽力されることを心より願っています。


◎ 本文は月刊JMS・2018年12月号にて掲載しています。